雑記日記

概ね無職。

2021/08/24 映画評3本

更新が滞っていてすみません。作業部屋にはクーラーも扇風機もないので、夏の暑い時期は作業が出来ないのがその理由です。

夏場はコーラでも飲みながら、適当なホラー映画を観るに限りますな。というわけで映画評を3本書いたので載せておきます。ネタバレには特に配慮していないので、考えて読んでください。

 

 

呪怨Vシネマ版/2000年)

得点…80/100

呪怨』清水崇 - ガエル記

恥ずかしながら、私はVシネマ版の『呪怨』を観たことがなかった。映画版を観てそれっきりだったが、「『呪怨』はVシネマ版が一番怖い」という話を聞いたので、この度鑑賞してみた次第。

結論から言えば…うーん、いかにもVシネマってクオリティだ。セットは陳腐だし、CGは粗いし、わざわざ謎解きをくっつけようとする脚本も手放しでは褒められない。これが「一番怖い」というのは、少々オーバーではなかろうか。

ただ、演出はしっかり怖いし、カメラワークもロケ地である家(これはハウススタジオだそうだ)の作りをよく活かしているし、時系列を意図的にシャッフルしてオムニバス的にまとめ上げる手法は独創的で、伏線のしっかり張られたミステリを読んでいるかのようだった。

磨けば光るものを感じた――と今更私が書くまでもなく、本シリーズのその後の躍進っぷりは諸兄らもご存じの通りである。

ホラー映画は金をジャブジャブかければいいとか、CGをバリバリ使えばいいとか、アイドルを連れてくればいいとか、そういう姿勢だけでは作れないぞ、と教えてくれる教科書のような作品だった。聞いてんのか秋元某、お前のことやぞ。

ちなみに、私は清水崇の手を離れて以降の本シリーズは観ていない。モデル上がりのチャンネーがキャーキャー騒ぐホラー映画を否定した本作が、シリーズ最後期にはそういった軟派な路線に身を堕とさざるを得なかったのは、邦画界における重大な損失であったと大真面目に考えるものである。

 

 

『ミラーズ』(2008年)

得点…71/100

ミラーズ - 作品 - Yahoo!映画

何故かキーファー・サザーランドジャック・バウアーの人)が主演で出ているという事前情報だけで鑑賞してみたが、これが意外と悪くなかった。

サザーランド御大におかれましては、当時既に『24 -TWENTY FOUR-』が当たっていたのだから、もうちょっと仕事を選んでもいいと思うのだが…。ちなみに本作でもサザーランド御大は元警察官の粗暴な男・ベンを演じている。

「鏡に映った自分自身に殺される恐怖」というテーマ故、カット割りや画面構成は鏡像や反射などを用いてかなり工夫されている。鑑賞者はこの映画によって、日常のありとあらゆるところに鏡像・映り込みがあることを再認識するだろう。思いも寄らない映り込みが演出に一役買っている場面もあり、マンネリ化はしていない。

反対に、脚本は少々いただけない出来。

鏡の怪異に何か原因があるらしいのはいい。怪異の犠牲者から主人公に向けて、謎めいた資料の山が送られてくるのもいい。しかし鏡本人(本鏡?)が元凶となった者の名を告げてしまうのは、些かもの足りない展開と言えるだろう。勿論鏡は声を出せないので、筆談である。なんと鏡達はひび割れを操って文字が書けるのだ。…ここ、笑うところですよ。

鏡は筆談に至るまでに、建物を燃やすわ人を殺すわベンのズボンに放火するわ艶めかしい焼死体(個人的にはかなりグッとくる生焼け加減だった、閑話休題)を見させて精神攻撃を仕掛けてくるわとやりたい放題なのだが、文字が書けるのなら最初から文字で頼み事をすればよいのではないか。わざわざ嫌がらせとかしてないで。

さてベンは伝えられた名前を警察のコネを使って調べるが、結果は芳しくない。こういう描写が出てきたら、鑑賞者は「もしかして、名前は鏡文字になっているとか?」などと本作の主役である鏡と結びつけて謎解きをしようとするものだと思うが、何を隠そう、そこに一切の謎はない。名前は合っていたし、検索条件を変えればヒットしてしまう。

…人に洒落にならない嫌がらせをするくせに、なんだか割合素直な鏡である。「理屈を超越した存在だから」と言えば聞こえはいいが、理屈も何も、メインテーマに据えられている鏡のキャラクター性がいまいち一貫していないのは、ご都合主義とか尺不足の臭いがプンプンするぞ。

ちなみにベンはといえば、鏡のターゲットである人物を銃で脅して連れてくる。ほぼ『24』やんけ。

終盤では鏡が水面の反射も利用してくるようになり、よりサスペンスが増すのだが、そこで初めて描かれる「鏡の中の世界」が完全に水中そのものなのはどうしたことか。「ベンが水に叩き込まれる」というオチありきで終盤の展開を固めてないか。前半までは水中のすの字もなかったぞ。

…とまあ色々気になる部分はあるものの、展開はスリリングかつテンポがよく、結末の余韻も十分であるのでホラー映画としてはちゃんと成立していると言えよう。この映画をR指定たらしめたゴア描写は下品にならない程度にエグく、特撮も違和感なく仕上がっている。

 

 

『ミラーズ2』(2010年)

得点…35/100

ミラーズ2:映画ランキング☆映画鑑賞ランキング記

少々荒削りながら見るべき点もあり、良心的な仕上がりだった前作から、悪夢のような続編が生まれてしまった。

演出・脚本・効果全てが前作以下という凄さ。2年も間が開いたのだからCGの質くらいは向上していて欲しかったが、それすらも前作の未公開シーン集に収録されていたパイロット版のCGよりひどいという有様。更には特撮も劣化している。

主演はニック・スタール、『ターミネーター3』で成長したジョン・コナーを演じて、かつての豊頬の美少年が見る影もないヘタレに育ってしまったことを全世界にまざまざと見せつけた人である。それ以来彼の出演作はことごとく脚本や演出がヘナヘナの映画ばかりで、その不運さたるや往年の高橋由伸(元巨人)と比肩するであろう。

ちなみに根強く言われる「エドワード・ファーロング(2でジョンを演じた人)が3もやればよかった」という話は、彼は3の撮影当時ドラッグに溺れてラリラリパッパになっていた上に、顔はニック・スタールとよく似た感じに育ってしまったという悲しいオチがつく。悲しいね。

余談が長くなった。

さて本作は、前作の舞台だったメイフラワー・デパートがニューオーリンズに出店するという設定で始まる。前作の主人公、サザーランド御大演じるベンはやっぱり死んでたらしいことが新聞紙一枚で示される。

うーんこの金のかからないオープニング、期待が嫌な方向に膨らむね。実際、ひび割れたガラス(「そこは鏡なんじゃねえの?」とは思うが、演出上全く鏡には見えない)の一枚一枚にスタッフクレジットや新聞記事、街の景色が映るという陳腐すぎる映像が数分流れる。前作の「ひび割れで文字を書く」という演出もなし。陳腐な映像を作るにしても、ついでに「ハイこれが伏線ですよ!」と鑑賞者に明示していた『ドント・ブリーズ』の導入のほうがまだしも出来がよかった。

まあまたしても鏡の中の自分が自分自身を襲うわけだが、その元凶となる鏡は前作の店舗から持ってきたものだと説明される。あのー、前作のラストで鏡全部割れてましたけど。

「鏡の土台も元の店舗から持ってきた」などと説明されているが、前作の店舗にある鏡は殆どがきちんと額装されたゴージャスな仕上がりだったのに対し、本作の鏡の土台は単なる安っぽいL字金物で、味も素っ気もない。前作とはあまりにもテクスチャが違いすぎる。スタッフは前作ちゃんと観た?

そもそも(これに関してはもはや言うのも野暮だとは思うが)、前作中火災で少なくない損害を被り、保険訴訟係争中の5年間建物が塩漬けされていたメイフラワー社のどこに新店舗を出店するほどの資本力があったのかは本作最大の謎である。よっぽど好条件で保険が下りたんやろなあ。スタッフは前作ちゃんと(以下略)

その他、脚本上の瑕疵といえば、無意味な挿話が多すぎることだろう。

ニック・スタール演じるマックスは婚約者を交通事故で亡くしてドラッグに溺れ、そのためにカウンセリングを受けているが、その要素がうまく活かせているとは言いがたい。

カウンセラーに「鏡の中に女を観た!」と相談すれば、それは婚約者の死に対する自罰感情が和らいできたからだと説明される。そしてそれで納得しちゃうマックス。納得しちゃうなよ。サザーランド御大はブチギレてたよ。

メイフラワー・デパートで夜警の仕事に就いたマックスは、鏡の中に同僚や経営者である父の死を見て驚き、それを食い止めようとする。実際に食い止められたのは父だけだが、それにも関わらず父と子という関係性が掘り下げられることはない。父というキャラクターは出しっぱなしで、その収拾はつかない。

またマックスは犠牲者の家に着くのが早すぎたせいで事件を追う刑事達から疑われるが、その場も口先でやり過ごしておしまい。割といい味出してるこの刑事達も、この先一切出てこない。これはひとえにそれ以上死人が出なかったからで、ここを掘り下げることもしていない。

前半では(それなりに長い回想も踏まえるので)マックスの婚約者の喪失がひとつのテーマなのかと思わせておきながら、ぽっと出の女があっさりとヒロイン枠に納まる展開にも無理がある。どんな吊り橋効果だよ。

演出面でいえば、ホラー要素は振り向いたらいる、顔を上げたらいる、の繰り返しばかりで芸がなく、安直でマンネリ。話が進むときには必ずと言っていいほど過去の回想シーンが挟まるので(なんと最終盤の謎解きも回想で済ますレベル)、これもまた非常に陳腐。

ゴア表現はエグい上に下品。まともに観ていると「イテテテテテッ」となる描写ばかりで、鑑賞者の怖がらせ方を根本的に間違えている。あと、割れたガラス板が降ってきたくらいでは人間の首は切断されないと思うんですけど、どうなんでしょう。ピザカッター程度の道具で顔をギタギタに刻むのも無理があると思う。

そしてここにもチープな特撮とチープなCGを使ってるもんだから、ゴア表現の凄惨さでも勝負できていない。一体何がしたいんだ…。

ラストシーンでは、鏡が騒動の元凶の人物を引きずり込んでリンチするが、その場面ですら演出にスピード感がないせいで緊張感に欠ける。もがけば逃げられそうだったけどなあ。

鏡の内側に血が飛ぶCGも、テクスチャが粗すぎて興醒め。MS-DOS版『DOOM』の血飛沫のほうがまだしも高精細だったぞ。

プロットに一捻り利いていた前作とは違い、そもそも本作の骨子は「非業の死を遂げた人物の残留思念が鏡を通じ仇討ちをする」という、まあ平たく言ってしまえば「ディキシーランド四谷怪談」なのだ。その陳腐さと中身の薄さを誤魔化すために様々な挿話を突っ込んで底が破れ、目を伏せたくなる出来になってしまった感がある。

陳腐なら陳腐なりに、中身が薄いなら中身が薄いなりにアプローチの方法はあったはずで、その手間すら惜しんだ本作が、我が国のみならず本国でもビデオ直行便になってしまったのもむべなるかなと言えよう。

それにしても、げに恐ろしきはニック・スタールの負け運である。合掌。