雑記日記

概ね無職。

怪談にいたる病

この度、しばらくぶりに映画評を書こうと思って映画を数本借りてきたのである。

映画評を書くのは大変だ。その映画を観ていない諸兄らにも伝わるように分かりやすい解説を書き、トホホな部分を針小棒大に論い、いい部分は素直にいいと言う。全体の流れを何度も確かめ、ネタバレに無配慮だとピィピィ喚く輩達の口に石を詰め込んで歩く。こう書くと簡単そうに思えるが、その実結構精神力を使う作業なのである。それに私は映画評を書く場合、対象の映画を必ず2回以上は観ることにしている。勿論その時間もバカにはならない。

つまり何が言いたいのかというと、映画評は一朝一夕に書こうと思って書けるものでもないのである。書くにしたところで、しばらく健康不安のために雑文の執筆をサボ……もとい、休んでいたので、リハビリが必要だ。

というわけで、私はリハビリがてら書いた怪談話を2本ほど、再び投下する次第である。ネタがないからではない。「こいつ困ったら怪談書いてるな」と思った諸兄らは、そのままお口をチャックして頂きたい。さもなくば私は泣きます。いいんですか泣きますよ。それはそれは見苦しいですよ。いいんですか。

雑な枕はさておき、本題に突入するとしよう。

 

「トンネル」

これは父からつい先日聞いた話である。

その日父は、高速道を2時間ほど走ったところにある温泉地に向かっていた。何分、仕事や家事などのするべきことより自由を謳歌するのが好きな性分である。その悪い面を私がそっくり遺伝で受け継いだことは言うまでもない。

私達が住んでいる市の反対側に抜け、隣のO市、更にその隣のY町を経由する高速道に乗った父の車は、O市とY町の境にあるトンネルにさしかかっていた。

何の変哲もない、至って普通のよくあるトンネルである。長くも短くもない。トンネル内が緩やかにカーブしているため、入口から出口を見通すことは出来ないが、入って少し走れば出口が見えてくる……という、その程度のトンネルだ。

平日だったこともあり、高速道を走る車はまばらである。父の車の前には、かなり車間を開けて数台の車がいるかどうかだった。

トンネルの出口が近づいてきた時だったという。前を走る車の向こうに、車道を横切る人影が見えた。

トンネルを吹き抜けてくる風に、ゴワゴワとした上着の裾が翻っていた。その質感はトレンチコートか、雨合羽のようだったという。えび茶色の上着を着た人物が、トンネルを出たところからほんの数メートルばかりの距離を、左から右に横断していた。

父は「あんなところを横断するなんて危ないな」と思ったが、すぐに思い返して違和感に気が付いた。ここは高速道である。歩行者の立ち入りは勿論許されていない。

すぐに思い当たったのは、高速道への誤進入であった。特に老人に多いが、自転車や歩行者の誤進入は意外なほど頻繁に発生しているという。

しかしながらその推理には弱点があった。このトンネルはちょうどサービスエリアや料金所などの中間に位置していて、人間が歩いて立ち入るのには無理のある場所なのだ。それに、高速道の真ん中をああして歩行者が右往左往していたら、サービスエリアや料金所などの侵入地点からもっと近い場所で通報され、既に確保されていそうなものである。

えび茶色の上着の人物は、再び横断することもなく、道路の右端に立ち尽くしていた。行くでもなく戻るでもなく、ただ呆然と立っているように見えたという。

父は万が一誤進入だった場合に、通報に備えて人物の風体を掴んでおこうと、人物から目を離さないようにしてトンネルの出口付近で少し速度を緩めた。

しびれを切らしたのか、後続車が1台、父の車を猛然と追い越していった。すると、その車が通り過ぎた後には、あれほど目立っていたえび茶色の上着の人物が忽然と消えていたのだという。

トンネルを出てからも、サイドミラーやルームミラーにあの人物が映らないか気をつけていたそうだが、問題のえび茶色の人物はトンネルの出口が見えなくなるまでの間、どこにも映らなかった。

 

その日帰宅した父は、やや興奮気味に私にこの話を聞かせた。

「絶対人間だった。道路を左から右に横断してた。見間違いなんかじゃない」

そう力説する父に、私は話を聞いている最中から引っかかっていたことをひとつ尋ねてみた。

「その人が着てたのって、本当にえび茶色のコートだった?」

「そうだよ。赤みを帯びた茶色だった」

「それってさ」

「何?」

「乾いた血の色だったりして」

 

どうにも気になった私は、その近辺で死亡事故が起こっていないかどうか調べてみたのだが、ざっと調べた限りでは、その辺りでは死亡事故はおろか、交通事故そのものが起こったこともなかった。

えび茶色の人物は、何を待って立っているのだろうか。

 

 

「窓」

これは恥ずかしながら私の話である。

しばらく前から、運動不足の解消も兼ねて深夜徘徊をしていた。大抵は夕食後、夜10時前後から、町をぐるぐる歩き回るのである。

幸いにも我が町は治安がいいので、これまで何か危険な目に遭ったとかいうことはない。ただ、ほんの3メートルばかり前方から突然キツネが飛び出してきて、にらみ合いになったことならある。キツネとはいえ野生の動物である。エキノコックスのこともあるし、正直肝が冷えた。こちらが一歩動くと、キツネは弾かれたように駆け出して夜の闇へと消えていった。

と、このようにして夜の町を歩いていると、気付くことがある。

それは、夜間の家々は、意外なほど外部からの観察者に対して無頓着であるということだ。流石に1階のカーテンやブラインドが開いていることは稀だが、2階の窓や高所にある窓などは、煌々と内部の明かりを外部まで漏れさせていることが多いのである。

あまりいい趣味とは言えないのでこんなことを書くのは心苦しいのだが、実は私はそのような窓々を眺めながら歩くのが結構好きで、私の中の下卑た野次馬根性をちょうどよく消化してくれるので重宝していた。

念のため書いておくが、住人の着替えを窓越しに覗き見たり、干されている下着を探したりなどは一切していないし、またする気もない。私はただ、見えるものを見ていただけだ。例えばそれはしおれかけた観葉植物であったり、壁を埋める背の高い本棚であったり、あるいは猫や犬だったりする。私はただ、私以外の存在が生活している証拠を、窓越しに眺めるのが好きだったのだ。

中には不気味な家というのもあり、通りに面した出窓をぎっしりぬいぐるみで埋めてあったりして、これを夜見るとかなり怖い。しかもぬいぐるみ達の顔は全て外を向いているのである。もう私のような不審者を怖がらせるためにやっているとしか思えない。

あるいは、通りに面した窓という窓に時計が掛けられている家もあった。1枚だけ時計が掛けられているなら分かる。1階の窓に全て掛けられていたとしても、まだ分かる。よほど時間が気になる住人なのだと思える。しかし、窓という窓に時計が掛けられているとなると、これはかなり異常である。何せ2階の窓にまで時計が掛かっているのだ。手すりもベランダもない2階の窓に時計を掛けて、誰が見るというのか。釈然としない。

とある切妻屋根の家の、屋根裏部分にあたる窓の縁から、巨大なE.T.のぬいぐるみが通りを見下ろしていることに気付いた瞬間もかなり怖かった。ご丁寧にも、我らがE.T.君には下から照明が当たっているという気合の入りようである。もし私が車の運転をしている最中にそれに気付いていたら、ハンドル操作を誤って事故を起こしただろうという自信がある。

このように、ちょっと意識して見てみると、変な家や不気味な家は思いの外多く存在しているのだ。しかしそれはあくまで住人達の意思で行われていることであり、何かしら異常だったとしてもそれは住人のほうであって、家そのものが異常なわけではない。そう思っていたからこそ、私は深夜徘徊と窓々の観察をやめなかった。

ある夜のことである。私は今まで足を踏み入れたことのない住宅街を徘徊していた。

この住宅街というのは、国道と高速道、それなりに大きなバス通りに囲まれた三角地帯で、そのいずれからもやや坂を下ることになる立地にあった。早い話が、すり鉢のように一段くぼんだ土地に造成された区画だったのである。一辺を高速道が区切っているため、この区画に入るには国道かバス通りから行かざるを得ず、加えて片手で足りる数の道のいずれかを選択する必要があった。すなわち、区画全体がひとつの袋小路のようになっているのだ。

私は行きと帰りで同じ道を通るのがあまり好きではない。学校や職場など、何か目的地がある場合は脅迫的なほど同じ道を通りたがるのだが、目的もなくぶらついている場合は、(より多くの窓々を観察するという意味もあって)なるべく違う道を選択したかった。よって、往路と復路で同じ道を選択しなければならない区間が多くなるこの区画には、足を踏み入れてこなかったのである。

にも関わらずその住宅街を歩いていたのは、本当に単なる気まぐれだったとしか言いようがない。他の手近な住宅地は概ね探索してしまったし、目的もなくただ遠くへ遠くへと歩くと、帰ってくるときがしんどいのだ。

とにかく私はその住宅地に足を踏み入れ、徘徊がてら窓々の観察を行っていた。

実際のところ、2階の窓というのはどの家もそれほどバリエーションがあるわけではない。大抵は本棚や机などの家財が見えるだけのことが殆どである。だからこそ私は窓から窓へと視線を絶えず動かしながら歩いていたのだ。

その住宅街の中でも最も海抜の低い位置、要はすり鉢の底に到達した私は、その交差点からいちばん急な坂を選んで登り始めた。この坂というのがかなり急で、かつ舗装が非常に荒れている。文字通り穴だらけであり、街灯もまばらな中では足を取られてしまいそうで、私の視線は自然とつま先に落ちた。

坂の半ばを過ぎると、かつては生け垣だったのであろう低木が野放図に伸び、歩道を半ば覆い隠さんばかりになっている庭が目についた。坂のいちばん上には、それなりに大きな家があるらしい。

坂をほぼ登り終えても、敷地が一段高くなっている上に低木がかなり生い茂っているため、家の全容は見えてこなかった。しかしながら、この家も例に漏れず、2階の窓から光が漏れていることはうかがい知れた。

坂を上り終えた私は、その家の全容を見ようとして角を曲がった。そして、生け垣の切れ目から、それを見たのである。

それは規模が大きいことを除けば、至って普通の家だった。黒っぽいガルバリウム鋼板の外壁に、白い窓枠が散っている。向かって右手にはカーポートがあり、そのすぐ左隣には簡素なポーチがあって、その奥には建物全体の印象からすればやや不釣り合いにも思える木製の玄関扉があった。家の前には庭があり、生け垣の切れ目からレンガが敷かれた短いアプローチがポーチまで続いていた。

ここまでなら、どこの町にも1軒はある家かも知れない。しかし、この家は死んでいたヽヽヽヽヽヽヽヽヽ

カーポートの屋根部分に張られたポリカーボネートの板は破れており、ポーチの壁には表札が剥がされた跡が残っていた。庭は所々に鉢やレンガなどが覗いているからかろうじてそれと分かる程度には荒れており、レンガ敷きのアプローチにもその隙間を縫って草がぼうぼうに伸びている。

この家に、住人はいない。誰が見ても明らかだろう。では私が見た2階の明かりは何だったのか?

2階には家の正面に面した窓がなかったので、私は今登ってきたばかりの坂を少し下り、先ほど窓の明かりを認めたところまで戻った。

人間の知覚というのは微妙なもので、家の全貌を把握した今となっては、生い茂った生け垣越しに、窓のある位置もなんとなく把握できてしまう。私は窓を見上げた。明かりはまだ漏れている。

私は生け垣をそっと手で押しやってみた。生け垣の内側部分には殆ど葉が茂っておらず、細い枝の向こうに2階の窓が見え――それと目が合った。

家の作りから推測するに、おそらく2階の廊下の突き当たりか、あるいは階段室にあたる部分に出窓がしつらえられており、明かりはそこから漏れていた。そして――その真ん中に、ぽっかりと顔が浮かんでいたのである。やや背筋を曲げて、窓に押し付けるように突き出された、うつろな顔があった。そしてその目は、真っ直ぐ私を見下ろしていた。

私はもしかすると、短く叫び声を上げたかも知れない。それヽヽと目が合っていたのも、ほんの数秒に過ぎなかったと思う。私は生け垣から頭を引っこ抜き、一目散に今来た坂を駆け下りた。坂を下りきって振り返ったとき、私は家が私を見下ろしているヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽのを確かに感じた。その視線を背中に受けながら、私は最短距離になるはずの道を選んで家へと帰った。

 

その後、私は結局深夜徘徊を行う勇気がどうしても湧かず、今では昼間に時間を見繕っては町を歩いている。近くにも行っていないので、あの家が昼間どうなっているのかは分からない。ただ、今でもその区画を見下ろす国道沿いを歩いていると、あの家があったはずの辺りから視線を感じることがあるということを書き添えておきたい。