雑記日記

概ね無職。

2020/12/15の日記

11時半頃に起床。

夕~夜からアルバイトが入っているので、本当はもっと寝るつもりだったのだが起きてしまった。

 

何をするでもなく3時に昼食をとる。

身支度をしてアルバイトへ。

 

9時半過ぎに帰宅。膝が無事死ぬ。期間限定とは言え、久しぶりに社会復帰したためメンタルも死ぬ。何か嫌なことがあったとか、そういうことじゃなくて、人の中にいて、賃金が発生するような労働をしていると自動的にスリップダメージを食らい心は死んでいく。

 

夕食をとり風呂に入って、12時からもはや恒例のロケットリーグ。

 

1時には解散。

 

ここは腐っても日記なので、日記に関係ないことから話を膨らませるのはどうかなあと思うけど。

 

どうも世の中の人と、「友情」というものに対する考え方が違うらしいということがまた分かってきた。

また、というのは、今まで何度か気付いたからで、その都度自分と解釈と世界の全てを否定して無かったふりをして生活している。何度でも同じことで傷付くことが出来る便利な心だ。

 

「学生時代の友人は一生モノ」とか、「友人は何でも相談に乗ってくれる」とか、こういった殊更友情を美化する文言は、もはや時代に即さないのではなかろうかと思う。

まあ、全て時代のせいにしているが、有り体に言えば僕が極端に友情の構築と維持が下手だという話だ。

 

僕にも(一般的なものではなかったとはいえ)学生時代というものは存在したし、ひとりでは到底抱えきれないような苦悩と煩悶を抱えているのはまあお分かりかと思う。

ところがどっこい、僕は学生時代の友人達とは連絡は何ひとつやりとりしないほどの没交渉であるし、数少ない友人達に悩みを打ち明けた結果、問題が解決したとか心が軽くなったとかいう経験も皆無である。

年に数回ライブを行う程度にのめり込んでいたバンド活動のメンバーでさえ、もう電話もメールもやりとりしていない。SNSのアカウントすら知らない。

 

そんな僕に前述のような「学生時代の~」とかなんだとか、友情の美しさを説かれても、僕はどうしようもないのだ。

むしろ、「友人達は僕を救ってはくれなかった」という感情が鎌首をもたげてくる。おこがましくも。

友人達はみんな「差し伸べた手を叩いたのはお前だろうが」と言うんだろうな。それはある意味事実だから。

僕は「友人とは何でも相談に乗ってくれるもの」という構図に囚われすぎていた。相談に乗ってくれても、それが為になるとか、僕が欲する答えを得られるとか、そういう確証は全くないのにね。勝手に期待していた部分があると思う。でも期待に応えてもらえないなら、結局は僕にとってあまり意味のない存在でしかないんだよ。

僕は友情というものを実行しているとき、ひたすら我慢している。みんなそうだろうけど、僕にはこの我慢というやつがとにかく据わりが悪い。それであるとき突然堪忍袋の緒が切れる訳だが、そうなることはごく希だ。大体はそれまでに僕自身が身を引いて、我慢しなくともいい環境に行ってしまうので。ただ、それでいいのか、それはフェアなのかと思う心がないでもない。損得勘定で動いていると思われかねないが、借りたものは返す主義だ。その場合莫大な債権を抱えているのは僕なのだが、行使するには関係が既に遠いこともある。そうなると僕の心は本当に宙ぶらりんだ。

僕の悩みを相談された数少ない友人達は、みんなまともに答えてくれたと思う。僕を怒鳴りつけたいのを我慢しつつ、自分の裁量で言えることは言ってくれたと思う。問題は、その改善策が僕自身幾度となく考えたことだったという点にある。それなら別に相談した意味がない。損得で言うなら確実に「損」だ。

そんなわけで僕は友情というものに過大な期待を抱きながら、そのために満たされないで、むしゃぶりつくして味のしなくなった友情の吸い殻を捨てている。きっと死ぬまでこうなんだろう。

 

本日のBGM…Bloc Party - Banquet

僕は別に博愛主義者でもなんでもないけど、このバンドに関しては人種の多様性がなくなってからは本当に見るべきものがないと思います。