雑記日記

概ね無職。

2020/12/16の日記

タイトル部分はいつも「きのう」と入れて変換しているんだけど、今日は「きょう」で変換しました。珍しくも日付が変わる前に更新している。

最近鬱々とした話が長すぎるとGOSHITEKIを受けたので、今日は割とアッパーにいきます。

 

12時15分頃起床。なぜこの時間に起きるかというと、僕の部屋の遮光カーテンの隙間から差し込んだ陽の光が、僕の顔だけをガンガン照らす時刻だからです。睡眠の質が終わり際で悪くなるので、みんなはやめといたほうがいいよ。

毎回こうなるって分かっていながら、眠りに落ちる前に遮光カーテンを完全に閉じるため布団から出るのが億劫な季節になってきた。

 

のっそりと布団を抜け出し、とりあえず朝食をとる。冷食を二品温めた。

食べながら録画していたタモリ倶楽部を観る。こいついつもタモリ倶楽部観てんな。

 

なんとなく携帯で『二十億光年の孤独』を読んで泣きそうになる。

以前買った茨木のり子詩集を引っ張り出してきて読む。で、泣く。

そらもうさめざめと泣く。文学青年みたいやろ。

『もっと強く』という詩にさしかかり、僕の涙腺は決壊した。

もっと強く

もっと強く願っていいのだ

わたしたちは明石の鯛が食べたいと

 

もっと強く願っていいのだ

わたしたちは幾種類ものジャムが

いつも食卓にあるようにと

 

もっと強く願っていいのだ

わたしたちは朝日の射すあかるい台所がほしいと

 

すりきれた靴はあっさりとすて

キュッと鳴る新しい靴の感触を

もっとしばしば味いたいと

 

秋 旅に出たひとがあれば

ウィンクで送ってやればいいのだ

 

なぜだろう

萎縮することが生活なのだと

おもいこんでしまった村と町

家々のひさしは上目づかいのまぶた

 

おーい 小さな時計屋さん

猫背をのばし あなたは叫んでいいのだ

今年もついに土用の鰻と会わなかったと

 

おーい 小さな釣道具屋さん

あなたは叫んでいいのだ

俺はまだ伊勢の海もみていないと

 

女がほしければ奪うのもいいのだ

男がほしければ奪うのもいいのだ

 

ああ わたしたちが

もっともっと貪婪にならないかぎり

なにごとも始りはしないのだ

(現代詩文庫20 茨木のり子/思潮社、1969)

茨木のり子の詩はすごい。一種の冷淡にも似た言葉は、ズバリズバリと心に切り込んでくる。またその素っ気のない物言いこそが、作者の寛容さの現れなのだ。そうして、読んだ者の心には憑き物が落ちたような爽快さと快活さが舞い戻ってくる。僕はこれほど切れ味が鋭く、また同時にどんと背中を押してくれる詩人を他に知らない。

 

3時半になるころにはもう泣き疲れて、少しもページをめくれなかった。同時に今朝まで僕に取り憑いていた鬱も、鼻水と一緒に流れ出たらしく、かなり気分が上向きになる。

 

躁と鬱のフェーズを頻繁に切り替えている人には分かってもらえると思うが、鬱期を抜けた後は本当に人類愛に目覚める。全ての存在が愛おしく思える。

 

4時半から夕食の準備をする。

twitterのアカウントが妙な輩に絡まれ、レスバトルに発展する。

考えてもみろよ。twitterなんかでわざわざ検索かけて、知らないアカウントに喧嘩腰でリプライを飛ばすことしか出来ない人生…。

かわいそうなので少々付き合ったが、外野がうるさくなってきたのと、案の定「書いていないことを読み取る」タイプの人だったので、これ以上は不毛だと感じもう結構ですと伝えたところ、「ハイ終わり!」と答えてくれた。やっぱり根はそれほど悪い人じゃないのかもね。本当に悪い人ならしつこくレスバを仕掛けてくるので。

 

夕食を食べ終え、窓の外を見ると雪がのつのつと降っていた。

今この文章を書くのに、「のつのつ」が方言かどうか確かめたところ、青森~北海道の方言だった。雪の場合、「しんしん」よりかは質量感と物量がある印象の場合に使います。のつのつ。

 

今日はこのままゆっくりして寝たいところだが…どうなるかな。

 

本日のBGM…THE BLUE HEARTS - 皆殺しのメロディ