雑記日記

概ね無職。

ある中華屋の思い出

私が小学生の頃、近所に中華屋があった。

その中華屋はいかにも町中華、といった趣で、メニューの半分がラーメンとチャーハンなどの飯もの、残りがほぼ定食で構成されており、これといって華のない店だった。メニューはべたつき、テーブルはぐらぐらし、店内には酸化した油のにおいが漂い、スピーカーからはAMラジオが流れている、という、どの町にも2、3軒はあるタイプの店を想像してもらえれば、概ね実態から外れたイメージではない。

私がその店に初めて入ったのは、10月の雨がそぼ降る金曜日だったと記憶している。私は当時さるジュニアスポーツチームに所属しており、その練習が終わった後で迎えに来た母と、夕食が食べられる店を探して周辺を彷徨ったのだ。

その日父は不在だった。おそらく飲み会か、会議か出張などでいなかったのだと思う。母も当時はまだ勤めに出ており、金曜の夜8時過ぎから夕食を作る気力はなかったのだろう、練習上がりのジャージを着た私を助手席に乗せて、市営体育館を出た。

今でこそその周辺は一通り開けた感があるが、当時はまだ店も少なく、街道沿いを一本入れば住宅街と空き地が広がっていた。体育館を出た頃から降り始めた冷たい雨は、次第に勢いを増し本降りになった。私と母の乗った車はとにかく飲食店を探してその中をひた走っていた。

最初に目をつけたのは、すぐ近隣にあるラーメン屋だった。しかし、この日に限って臨時休業だか既に営業を終えていただかして、ラーメンにありつくことは出来なかった。そのラーメン屋から、直線距離で言えば100mくらいのところにスパゲティ屋があったが、前日の夕食もスパゲティだったのであえなくこれもパスとなった。

小学生だった私はおろか、母もあまりその界隈の飲食店に詳しくなかったため、私達は路頭に迷ってしまった。今のようにカーナビやスマートフォンが普及する前の話である。開いているのは居酒屋と思しき店ばかり。

諦めてコンビニ弁当でも買って帰ろう――そう結論付けた私達は、家に向かう方向へとしばらく走ったところにあるコンビニに入ろうとして、その横に隠れるようにしてあった中華屋を見つけたのである。

店内には既に客は誰もいなかった。ぱっと覗いた限りでは、もう店を閉めようとしているようにも見えた。こうなればダメ元で、と私と母はその店に突入した。後から知ったことだが、この店の営業時間は午後9時までであり、この時の私達は滑り込みの客だったことになる。

店主らしき老夫婦が、メニューと水を持ってきた。色のあせた1枚きりのメニューの中に、私は興味深いものを見つけた。「カツカレーラーメン」である。

私は興味本位で、そのカツカレーラーメンなるものを注文した。練習上がりで、とにかく腹が減っていたというのもある。どのような形のものであれ、カツとカレーとラーメンが構成要素であることに間違いはないはずだ。まるで男子小学生が考えた、小学生のためのメニューのようではないか。

しばらくして、それはやって来た。おそらくカレーの色であろう黄色いスープのラーメンの上には、薄めに揚げられたトンカツが乗っていた。

私はこの未知との遭遇において、どこから攻めるか考えあぐねた結果、スープを一口飲むことにした。それは味噌ベースの割と軽いスープで、かなりスパイシーだった。悪くない。

次に麺を啜ってみる。この辺りでは一般的な中太縮れ麺を、口に入れて驚いた。先ほど感じたスープのスパイシーさはスッと鳴りを潜め、隠れていた野菜の甘みが引き立ってくるのだ。これも悪くない、いや、かなりうまい。

最初に見たときは薄く思えたカツも、食べ進めるうちに、カツとして主張しすぎず、ベースのカレーラーメンを邪魔しない、「カツカレーラーメンの具」として非常に適切な厚さだということが分かった。細かいパン粉の衣も、スープを吸い過ぎることもなく、丁度いい塩梅だった。

私が夢中になって食べていると、一緒に注文した焼き餃子が6個やって来た。やや大ぶりで皮は厚め、焼き色は薄いながら底面はしっかりパリパリとし、全体はもちもちとした食感である。餡の主体はおそらく鶏肉で、あっさりとした中にも野菜のうまみが詰まっており、ついついもうひとつ、もうひとつ、と箸が伸びてしまう。

カツカレーラーメンのスープまで飲み干して、私はこの上ない幸福感を噛みしめていた。たまたま飛び込んだのが、こんなに素敵な店だったとは。

それ以来私はその中華屋では、カツカレーラーメンと餃子ばかりを注文するようになった。しかしながら、本当ならば月に2、3回は行きたいところだったのだが、我が家は父が外食嫌いで、父が不在のタイミング、しかも外食に行く、と決めた時にしか「ここに行こう」と提案することが出来なかったため、多くて2ヶ月に1回、長いときは半年以上無沙汰、ということもあった。

そうして、終わりは突如やって来た。

当時中学生になっていた私は、夏休み期間中、昼食を食べに自転車でこの店にやって来たのだが、その時はシャッターが降りていた。仕方なく横のコンビニで弁当を買って帰った。定休日だと思っていたのだ。

1週間ほどしてまた行ってみると、もう店はなくなっていた。看板は下ろされ、ガラス戸の中にはがらんとした空間が広がっているだけだった。何故か私はさほどショックを受けなかったと記憶している。もう1回餃子を食べておきたかったな、と思っただけだ。

その後、その場所にはしばらくテナントが入らなかったと記憶している。何かの用事で前を通る度に、その中華屋と私の記憶の死骸が厳然と横たわっているのを見て、たまにカツカレーラーメンや餃子のことを思い出したりした。

私は高校生になっていた。その頃、中華屋だったビルの一角にはおしゃれなパン屋が入っていた。

高校3年間はあっという間に過ぎ去り、私は運転免許を取るため近所の自動車学校に通った。場内での教習が終わり、仮免許試験にも合格して、路上教習に出るようになった頃の話である。

私は教官にルートを指定されながら、普段通らない道を教習車で運転していた。まだ寒い頃で、雪がちらついていた。ある坂道にさしかかったとき、私は「あっ」と声を上げそうになった。

路肩に溜められた雪山の向こうに、あの中華屋と同じ屋号の店を見つけたのである。屋号だけでなく、オレンジ色の看板も、入口のガラス戸に掛けられた飾りもそっくりであった。

あの店は閉店したのではなく、移転したのだ!

私は運転席上で小躍りしそうになり、赤信号を見落として教官がブレーキを踏んだ。

勿論その日帰宅してから家族にそのことを話したが、私はその1ヶ月後には仙台への進学が決まっていたため、その店が本当にあの店なのかを確かめる機会はなかなか訪れなかった。

仙台での学生生活は何かと苦労が多く、帰省した折にも普段食べられない寿司や焼き肉などをたかっていたため、その中華屋のことは気になっていたが行くことが出来なかった。

学校を出て里帰りしてからも、無職をやったり正社員をやったり心を病んだりまた無職をやったり、となかなか忙しく、店の所在地まで分かっているのに行く機会に恵まれなかった。

その機会は突然訪れた。今日である。父は自分で買ってきたつまみで晩酌をすると早々に寝てしまい、これが絶好機だと思った私は母と示し合わせて、あの日を思わせる雨の中、この店へとやって来た。

以前の場所より間口は広いはずなのだが、店は以前と何も変わらないように思える。私は年甲斐もなく、少し逸る気持ちを抑えながら、オレンジ色の暖簾をくぐった。

厨房にはあの老夫婦がいた。色のあせたメニューも、ぐらつくテーブルもそのままだった。違う建物のはずなのに、あの頃と同じにおいがしていた。

私は迷わず焼き餃子と、カレーラーメンを注文した。カツカレーラーメンはメニューから消えていた。その不在だけが以前との違いだったが、そんなことはもう些末なことだ。私もそれ相応に歳を取った。カツの浮いたラーメンなど、今となっては平らげる自信はない。

そうしてやって来たカレーラーメンと焼き餃子を一口食べたとき、私は泣き出しそうになっていた。以前と寸分変わらない味がそこにはあった。なぜもっと早くこの店に来なかったのだろう、と思うほど、懐かしさで舌の上が焼けるようだった。

AMラジオの音に交じって、雨が窓を叩く音が聞こえていた。私達の他に客はおらず、店内は静かだった。

私はこのラーメンを、焼き餃子を、あと何回食べられるのだろう。