雑記日記

概ね無職。

耳と受話器の話

私は耳がいい。

きょうびこんなことを書くと修羅のインターネッツには自慢だと受け取られ、音楽や楽器関連の趣味や仕事を持つ人間、すなわち日本人のほぼ全てから夜道で刺されそうであるが、この「いい」というのは別に教養があるとか、絶対音感があるとかいったことではない。単純に、小さな音も大きく聞こえるということである。

これもまた補聴器もどきの耳かけ式集音器の軟派なテレビCMみたいなセンテンスであり、小さな音が聞こえなくなった壮年熟年層から刺されそうであるが、老人性難聴は50歳頃から見られるものの、顕著に増加するのは大体65歳頃からと言われており、その割合は年齢によって異なるがざっと平均を取ればおそらく5割くらいだと思われるので、65歳以上の人口のおよそ半分である1810万7千人に気をつけていればよくなるのである。これは日本の総人口のおよそ15%程度に満たない数字であり、私が夜道でブスリとやられる心配も85%の大幅減を実現するのだ。

ちなみにこの数字の出典は総務省統計局ホームページの人口推計(令和3年10月確定値)を参照している。まさか統計局もこんなくだらない雑文に引用されると思ってはおるまい。どうだ参ったか。ケケケ。

冗長かつ妙に数字に細かい冗談はさておき、私は耳がよすぎて困るのである。たとえば、未だに18kHz程度のモスキート音なら聞こえてしまうし、映画やライブ、果てはクラシックのコンサートですら長く聴き続けていると気分が悪くなる。血管に血が流れる音が耳につき、自分の鼓動がうるさくて眠れなくなることもある。そんなときは扉を隔てた時計の秒針や、自室の壁に掛かっている連続秒針の音ですら気になってくるのだからたまったものではない。枕元の携帯の急速充電器も非常に高い音で唸っていたりする。

こんな経験をしている人はあまり多くないようだ、という体感によってのみ私は自身の耳がピーキーな性能であると結論付けるわけだが、世の人の大半がこんな調子であるならば是非ご指摘を賜りたい。ついでにどうやって生きているかも教えてもらいたい。

というのも、上で私の耳は小さな音も大きく聞こえると書いたように、私の耳には指向性らしきものが存在しないようなのである。

ふつう、人は人混みなどの騒がしい場所においても、自分が聞きたいと思った音に集中することができるらしい。これをカクテルパーティ効果と呼ぶそうだが、私にはこれが少々難しい。聞こえる音は全て一定の音量を保ち続けており、その中から特定の声だけを聞こうとするのは骨の折れる行為なのである。なんとなくの抑揚やジェスチャー、果ては表情や目線の動きなどから言っていることを類推することしか出来ない場合もあり、よって私は騒がしい場所で話をすることをあまり好まない。酒に酔うと殊更声が大きくなるのだが、これは酔っぱらうと声以外の部分からの類推がうまく出来なくなるため、相手も大きな声で話してくれるように促している側面もある。

このように、耳がいいというのも困った話なのである。自分ではどうしようもないのでもっと困るのである。実のところ一番困るのは自身が弾くギターのビビリやビレやフィンガーノイズにどこまでも神経質になってしまうことだったりするのだが、この場合は「アンプを通して聞こえなければ問題なし」という明確な線引きがあるので分かりやすい。

そういえば私は電話も苦手である。受話器から聞こえる音と、受話器を当てていない側の耳から聞こえる音が混じり合って、話を聞き取れないのである。

世の家電メーカーはヘッドフォン型の受話器を標準搭載してほしい。勿論ノイズキャンセリング機能付きである。電話が鳴れば、受け手はスチャッとヘッドフォンを装着して外部の音をシャットアウトするのだ。理想的だ。全く理想の受話器だ。

大体、なぜ人類は受話器は片耳だけでいいと思っているのだ。考えられる可能性としては、電話で誰かと話しながら、その上で外部の音を聞く必要があるということである。しかし、それは我々が日常で電話を使う上では、かなり特殊なシチュエーションであると言えよう。

たとえば、戦場であればそうだろう。のんきに前線司令部とヘッドフォンで電話していたら、敵の接近にも吶喊の号令にも気付けないではないか。

あるいは、手術中の医師などもそうであろう。手術中に患者の心臓が止まって警報音が鳴っても、医師は気付かずヘッドフォンで実家の母と帰省の予定などを話し合っている。母ちゃん今年も帰れそうにないよ、などとのたまっておる。我が国の医師の激務ぶりには大変痛み入るが、なにも今そんな話をしなくてもよかろう。えーい静まれ静まれ、患者一匹が死にかけておるのだぞ。三島由紀夫ならそう言って自決したであろう。というわけで医師が実家の母と談笑している間に、死体が2つ出来上がるという寸法である。いやそもそも手術中の医師が電話に出ている場合か。これは電話の構造より運用体制を見直すべきである。

そもそもついでに言ってしまえば、こんなことはそもそも起こらないのである。こんなシチュエーションなど私がテキーラを3杯ショットで飲んだために生まれてきただけであって、本当はないのである。それに三島由紀夫はもう墓の下である。ではなおさら、家電メーカーは電話の受話器をノイズキャンセル付きヘッドフォンにするべきではないか。

勿論、携帯電話ではだめだ。道を歩きながら話をすることも多かろう。会話に夢中で車に轢かれたり自転車に轢かれたり、穴に落ちたり山に登ったりしてしまうに違いあるまい。何しろ歩きながら通話をしているときの我々のIQはウシガエル並みにまで下がっていると言われているので、ウシガエルよろしくアスファルトの上で平たくのされてしまうのがオチである。そんなことはない。ねんのため。

となればやはり固定電話こそ、受話器をヘッドフォン型にするべきである。固定電話を持ち歩いて通話する馬鹿は、世界広しといえどもおるまい。道で固定電話を持ち歩きながら通話している人がいるとすれば、それはいつもの小道具を家に忘れた平野ノラだけである。

なぜヘッドフォン型受話器は普及していないのか。これは相当なビッグビジネスの予感がする――と酒の勢いでここまで書いてきたところで、BGM代わりに点けていたテレビの通販番組が「30分間オペレーターを増やしてお待ちしております」などと抜かしていた。コールセンターらしき場所で、にこやかに対応する妙齢の女性の耳には、ヘッドフォン。

忘れていた。ヘッドフォン型の受話器は既に存在するのである。ざっと調べてみたところ出るわ出るわ、普通の固定電話に直に差せるヘッドフォン型受話器のオンパレードである。主に30分間だけ増員される類いのオペレーター達には人気のようである。

願わくは、これがあの不格好な受話器を駆逐して、世界標準になってもらえまいか。今のところその気配は全くない。やはり、30分間だけ増員される、という特殊な形態の雇用では、社会の中で存在感を持つことなど出来ないのだろうか。

あるときは私立探偵、またあるときは片目の運転手、またあるときはインドの魔術師、果たしてその正体は――30分間だけ増員されるコールセンターのオペレーターである。これは冴えないなあ。こんな多羅尾伴内ではチャンバラ禁止にあえぐ東映を救えはしなかったはずで、すなわちヘッドフォン型受話器の天下も遠いのである。